mieko-chan’s diary

日々のよかったや気づきを書いてます。

渋沢栄一〜よかったブログ836日目〜

おはようございます!miekoです。

 

NHKBSプレミアム英雄たちの選択

渋沢栄一知られざる顔"論語と算盤"を読み解く」を見ました。

 

渋沢栄一はパリ万博に28歳の時に幕臣として随行

パリで出会った銀行家に資本主義を教わった。

パリでまげまで切ってしまった。

日本は慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いを経て明治新政府へ。

明治5年(1872)鉄道開設。取り残された浮浪者が溢れていた。

明治6年(1873)民間の銀行設立。日本資本主義の父。

明治7年(1874)東京養育院。寛政の改革松平定信が貧民救済のためにやっていた七分積金の170万両(170億円)を東京府が引き継いだ。

100畳間に100人が、老人も病人も一緒にいた。

職業訓練所、学問所を作った。自立可能にした。

税金で賄っていた。

明治17年(1884)東京養育院廃止。富国強兵論者が困窮者は惰眠とし弱者の切り捨てをした。

民間資金で運営を!

渋沢は鹿鳴館で日本初のチャリティーバザーをした。3000点をオークション。

3日間で7500円(6800万円)になった。

また、自ら寄付しその署名とお金を入れるカバンを持って、ひとり一人まわって寄付を募った。

昭和4年世界大恐慌。農村が飢饉になった。

救護法(生活保護法の前身)制定されるも政府はお金が無いから実施は出来ない。

渋沢は91歳。病気療養中の身で大蔵大臣に直訴した。

「渋沢の最後の願いを聞いてくれ」

24万人を救護した。

昭和6年92歳逝去。

養育院は東京都健康長寿医療センターとして引き継がれている。

経済政策は社会福祉政策。

最後に歴史家の磯田先生の言葉。

「金魚鉢の金魚がエサをいっぱい食べたら糞が出る。糞をしたら水槽が濁る。

全体をきれいにしていかなければ、死んでしまう。」

 

~今日の気づき~

2019年の再放送だった。コロナ禍の今にピッタリな内容だ!

 

大河ドラマ「青天を衝け」が楽しみになった!

大河ドラマ館も行ってみよー^^