mieko-chan’s diary

日々のよかったや気づきを書いてます。

感染病と闘った日本人②〜よかったブログ811日目〜

おはようございます!miekoです。

 

NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」があまりにもよかったので

憶えておきたくて書いてます。

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長与専斎(ながよせんさい)は明治4年欧米使節団で

海外を見て「行政も国民の健康を守る」と知った。

日本は「自分で守る」だった。

近代国家になる為には国でやらないとダメ。「衛生(生を守る)」

と名付け、衛生局初代局長となった。

 

明治7年清国厦門コレラが流行。船に乗ってやってくるかもしれない。

外国船が検疫を拒否。明治10年西南戦争、兵士が検疫を振り切って上陸した。

9月には80人だった感染者が10月には2200人に。

感染者1万3800人、死者8027人。

怖いのは人間の無理解だと気づいた。

「衛生の唄」を作った。換気の重要性を説いた。

 

都市の人口が増え井戸水の汚染が問題に。コレラ菌が汚染水から広がった。

神田下水を作り目に見える形で証明した。

その後上水道も作った。全国に広がった。

感染症に負けない国家=インフラ整備>

緒形洪庵が開いた適塾出身の長与専斎が、感染症に負けない国家を作った。

 

長与専斎(1838年~1902年)

 

~今日の気づき~

換気に手洗い、コロナ対策と一緒だ!