mieko-chan’s diary

日々のよかったや気づきを書いてます。

手話の試験2~よかったブログ250日目~

こんにちは、miekoです。

 

10日後に迫った区の登録通訳者の試験。

 

筆記試験に向けて歴史覚えないと!

 

1965年(昭和40年)蛇の目寿司事件

    上野の寿司屋で聾者同士で手話で話していると

    他の客がじろじろ見ている。

    やめてくれと促しても止めないので立ち上がって肩をたたいた。

    すると客同士取っ組み合いの喧嘩になった。

    止めに入った店主が突き飛ばされて頭を打って亡くなってしまった。

    裁判になったけれど手話が出来る弁護士がいない。懲役4年の実刑になった。

    手話の偏見、裁判の不公正が問題になる。

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  昭和40年代のろう運動のきっかけになった 

 

1968年(昭和43年)運転免許裁判

    岩手県盛岡市中途失聴者の樋下光夫さん。 

    仕事でどうしても車の運転が必要。

    補聴器を付けると聞こえる。無免許運転を繰り返していた。

    聴覚障害のある弁護士と出会い裁判を起こすが敗訴。

(1960年昭和35年施行の道路交通法88条

「目が見えない者・耳が聞こえない者・口がきけない者」

「知的障碍者」「てんかん」「精神病者」に免許を与えない。補聴器使用認めない。)

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2001年道路交通法88条削除

今は二種免許も取れバスの運転手さんもいます。

 

1975年(昭和50年)民法11条改正を求める陳述

民法11条:聾者は準禁治産者とみなされ住宅ローンの利用や家業を継ぐ事が出来ない)

以前講演に来てくれた方の話では、苦労して作った会社が石油ショックで支払いに行き詰まり銀行にお金を借りに行ったら聾者という理由で借りることが出来ず会社を潰してしまった。「たった200万円が払えなくて会社を無くしました!」と明るく言ってました。 

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1979年民法11条改正 ろう者も家を持てるようになりました。

 

1980年(昭和55年)玉野裁判 選挙運動の自由を奪った

    香川県の玉野ふきさん当時58歳。耳は聞こえるが言語障害のある女性。

    立会演説を聞いて感動し他の人にも伝えたいとビラを配ったら

    公職選挙違反とみなされ有罪に。13年後無罪に亡くなり裁判打ち切り。

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1986年(昭和61年)無言の政見放送

    ろう者が衆議院東京選挙区から立候補したが、政見放送に手話通訳・字幕・

    代読も認められなかったので放送が無声になってしまった。

       ↓

 同年12月自治省内に「政見放送研究会」が発足し法整備・収録技術・通訳士の確保など付けられるようになった。ただ、付けるかどうかは政党の任意で選ぶ。

今はろう者の議員さんが2人いるそうです。

筆談ホステスの斉藤理恵さんが有名ですよね。

 

~今日の気づき~

私が生きてきた時間にも、いろんな事があったんだなぁ。

 

◎法律や政治の事はよくわからないけれど、聞こえない人の役にたちたい。