和田式陽転エデュケーターのmiekoです。
手話講習会の時、先生が自分が今の仕事に付いた経緯を話してくれた。
先生は手話通訳派遣センターで働いている。
ニュースで手話通訳したり、首相官邸で手話通訳したり、天皇陛下の手話通訳もしたそうだ。
最初からこの仕事をしていたのかと思っていたら、30歳までは普通のOLさんだったそうだ。
両親も兄弟も耳が聞こえない。聞こえるのは自分だけ。小学生の頃から家族の通訳をしていて、子供心に「それおかしいんじゃない」って思う事も、そのまま伝えなくてはならない。「そんなことない」って事も、そのまま伝えなくてはならない。
早く家を出たい!ってずっと思っていたそうだ。
上京して普通のOLになって普通の事務をしていた。
でも、30歳になって周りの友達も結婚して、ちょっと疲れて、
「田舎に帰ろうかなぁ」って思ってた頃に地域の手話サークルに行ってみたら
みんな明るくて楽しくて、初めて手話って楽しい!と思ったそうだ。
「私は子供の頃からやってるんだから出来ないはずがない!」と難関試験も、落ちても落ちても、何度も挑戦し今に至っている。
サークルのメンバー(聞こえない)と結婚し、子供(聞こえる)も出来て、今は手話を生業として生きている。
~今日のよかった~
仲間って大事!!
♡サークルの仲間がいなかったら今の私はないって言ってました。今でも大切な仲間だそうです。